自然に恵まれた高原山には素晴らしい四季がある。


ヤシオツツジなどの花で彩られるこれからが楽しみだが、どうやら今年の春は異変が起きている。


記録的と言われた4月の遅い雪や低温続きの春。


先日県民の森に出かけたが、春の訪れが昨年と比べ10日以上は遅れていると感じた。



 


 


 


見ごろを終えているはずのカタクリは最盛期。



 


 


 


 



 


 


 


 



 


 


 


 



 


 


 


期待のアカヤシオは見るも無残、花びらが茶色く変色し撮影するのも躊躇ってしまう程。


残された蕾に期待しましょう。



 


 


 


楽しみなGWも近づいてきたが、果たして間に合うだろうか?


自然は人間の思い通りにはいかないものだ。



 


ここで素晴らしい自然の恵みをもたらした高原山について改めて学んでみましょう。


 ●山の成り立ちと移り変わり


遠く原始時代のその昔、日本列島が大陸から離陸する頃、およそ三百万年前に大噴火を起こし、


その後永い年月と激動を繰り返し現在の高原山は、三十万年位前に形成されたもので、


激しい火山活動が終わり造山活動(地殻の隆起や沈降)が終止状態の現代に近いものになったのは、今から約一万年以前という。


高原山は五つの峰から成り、西から鶏頂山、中岳、西平岳、釈迦ヶ岳、剣ヶ峰が聳え立ち東に平たい台形に見えるミツモチ山がある。


この山の北側(剣ヶ峰の東部)に八方ヶ原(大間々、小間々)があり、


この地一帯百五十ヘクタールに亘り三十万株に達する蓮華ツツジが群生し


朱色の花が満開になる六月半ばを中心として県の内外から多数の観光客が訪れ、その絶景を賞賛している。


降って垂仁天皇の御代鶏頂山上に鶏頂山神社が祀られ


旧四月七日の祭日には山を信仰し登拝する者が多く中には参籠する信者もあった。


また中世以降は、かんまん平(寺の在所)に法楽寺が創建され


山岳仏教が盛んになり信徒たちの入山修行する者が多くなった。


徳川末期から明治にかけ高原山中腹の一部は、宇都宮領十二ヶ村の入会山となって管理された。


※宇都宮領十二ヶ村


1、長井村 2、立足村、 3、平野村 4、塩田村 5、片俣村 6、倉掛村


7、幸岡村 8、川崎村 9、境林村 10、館の川村 11、高塩村 12、玉田村


以上、昭和57年発刊の或る郷土誌より抜粋